ホテル・旅館 | レストランサービス・ホールスタッフ
【羽田】ホテル内レストランサービススタッフ/老舗ふぐ料理店・割烹料亭
Cafe & Dining HARUHORO ホテルJALシティ羽田 東京
- 月収
- 23~28
- 東京都
- 大田区
心地よい風が吹き抜ける開放的なテラス席を通り抜けて入り口をくぐると、光をふんだんに取り込んだテーブル席が広がります。
素材を生かした四季折々の食材をふんだんに使用した週替わりのランチメニューや、ディナータイムでは豊富なタパスやカスエラ、ココットの小皿料理や大迫力の肉料理。
厳選したワインをご用意、料理とのマリアージュをお楽いただけます。
春帆楼は130余年の間に多様な変化を遂げてきました。山口県下関の割烹旅館から始まり、全国各地に店舗を設け、ふぐ料理や日本料理にとどまらず、カフェや創作イタリアンといった新しいコンセプトブランドを運営するようになりました。その間、何百人という人が時代の流れや変化に合わせて「春帆楼」というブランドを守り育て支え、今に繋がっています。
日本のおもてなしは茶の湯の文化から発祥し、お客様と「対等」であると言われます。そのために私たちは、お客様と対等であるための教養やコンセプトの創造、従業員の思いを見つめなおし、「海外から見た日本、日本料理、ふぐ文化」を春帆楼のテーマとして掲げました。
歴史に囚われず、その時代に合わせて新しい業態に挑戦し、新たな春帆楼の歴史を築いていくためには、あなたのアイデアが必要なのです。
明治20年(1887年)の暮れ、山口県下関の割烹旅館春帆楼に当時の内閣総理大臣伊藤博文公が宿泊されました。本来であれば関門海峡を眼下に新鮮な下関の魚料理でおもてなしをするところ、海は大時化。手元にあるのは、その美味しさと相反するように危険な猛毒を有するために、豊臣秀吉の河豚禁食令以来、厳罰をもって禁食とされているふぐばかり。
女将ミチは「魚を食したい」という伊藤博文公の思いを叶えるためにお手討ち覚悟で、御膳にご禁制のふぐ料理を出しました。
「こりゃ、美味い」
食したふぐ料理の美味しさに感銘を受けた伊藤博文公は、翌明治21年(1888年)河豚禁食令を解禁。春帆楼はふぐ料理公許第一号として広く知られるようになりました。
これが、春帆楼のはじまりであり、ふぐ料理のはじまりです。この130余年の伝統は、長い時間をかけて磨き上げられた匠の技を生み出しました。春帆楼で働くというのは、最高レベルの食の技術に触れて働くことであり、そこで身に付くのは最高レベルのプロフェッショナリズムです。
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